無機化学 / 無機物質の分析
陽イオンの分離と検出
要点整理
系統分離の全体像 — なぜ順番通りに試薬を加える必要があるのか
複数の金属イオンが混ざった水溶液から、1種類ずつイオンを分離していく操作を**系統分離(定性分析)**といいます。ポイントは、それぞれの操作で「その試薬に対してだけ沈殿するイオン」を選び出し、残りは次の操作へ回すという考え方です。ここでは代表的な8種類のイオン(Ag+、Pb2+、Cu2+、Fe3+、Al3+、Zn2+、Ca2+、Na+)を例に、分離の流れを見ていきます。
分離の流れ(フローチャートを表で表す)
| 操作 | 加える試薬・条件 | 沈殿するイオン(沈殿の化学式・色) | ろ液に残るイオン |
|---|---|---|---|
| 1 | 希塩酸を加える | Ag+ → $\ce{AgCl}$(白色)、Pb2+ → $\ce{PbCl2}$(白色) | Cu2+, Fe3+, Al3+, Zn2+, Ca2+, Na+ |
| 2 | 酸性のまま硫化水素$\ce{H2S}$を通じる | Cu2+ → $\ce{CuS}$(黒色) | Fe3+, Al3+, Zn2+, Ca2+, Na+ |
| 3 | 煮沸してH2Sを除いたのち、過剰のアンモニア水を加える | Fe3+ → $\ce{Fe(OH)3}$(赤褐色)、Al3+ → $\ce{Al(OH)3}$(白色) | Zn2+(錯イオンとして)、Ca2+, Na+ |
| 4 | アンモニア性(中性~塩基性)のまま硫化水素を通じる | Zn2+ → $\ce{ZnS}$(白色) | Ca2+, Na+ |
| 5 | 炭酸アンモニウム$\ce{(NH4)2CO3}$を加える | Ca2+ → $\ce{CaCO3}$(白色) | Na+ |
| 6 | 炎色反応で確認 | — | Na+(黄色の炎色反応) |
操作1: 希塩酸で塩化物イオンの沈殿をつくる ― Ag+とPb2+の分離
塩化物イオンをつくったときに水に溶けにくい金属イオンは、Ag+とPb2+です。
$\ce{Ag+ + Cl- -> AgCl v}\qquad \ce{Pb^2+ + 2Cl- -> PbCl2 v}$
この2つの白色沈殿は、実は熱水への溶けやすさで見分けることができます。AgClは熱水にもほとんど溶けませんが、PbCl2は熱水には比較的よく溶けるという性質の違いがあるため、沈殿に熱湯を加えて溶けるかどうかを確認すれば、AgClとPbCl2を区別できます。
操作2: 酸性条件でのH2S ― CuSだけが沈殿する理由
硫化水素は弱酸であり、水溶液中で次の2段階の電離平衡が成り立っています。
$\ce{H2S <=> H+ + HS-}\qquad \ce{HS- <=> H+ + S^2-}$
酸性の溶液(H+が多い)では、ルシャトリエの原理によりこの平衡は左に片寄り、S2-の濃度は極めて低くなります。この低いS2-濃度でも沈殿できるのは、溶解度積が極端に小さい(=非常に溶けにくい)硫化物だけです。このユニットで扱うイオンの中では、Cu2+の硫化物CuS(黒色)だけが、酸性条件でも沈殿するほど溶解度積が小さいイオンにあたります。Fe3+、Al3+、Zn2+はいずれも、酸性条件のS2-濃度では沈殿するほど溶けにくい硫化物をつくらないため、そのまま溶液中に残ります。
操作3: 過剰のアンモニア水 ― 水酸化物の沈殿と錯イオン形成の分かれ道
残ったFe3+、Al3+、Zn2+に過剰のアンモニア水を加えると、いったんはすべて水酸化物として沈殿しようとしますが、金属イオンによって「そのまま沈殿として残るか」「錯イオンとなって再び溶けるか」が分かれます。
$\ce{Fe^3+ + 3NH3 + 3H2O -> Fe(OH)3 v + 3NH4+}$
$\ce{Al^3+ + 3NH3 + 3H2O -> Al(OH)3 v + 3NH4+}$
Fe3+とAl3+は、アンモニアと安定な錯イオンをつくらないため、水酸化物の沈殿(それぞれ赤褐色・白色)のまま残ります。一方Zn2+は、過剰のアンモニアと反応してテトラアンミン亜鉛(II)イオンという錯イオンをつくり、水に溶けたままろ液の中に残ります。
$\ce{Zn^2+ + 4NH3 -> [Zn(NH3)4]^2+}$
錯イオンの単元で学んだ「金属イオンによって、安定な錯イオンをつくれるかどうかが違う」という性質が、まさにこの分離操作の決め手になっています。
操作4: 中性~塩基性条件でのH2S ― ZnSが沈殿する理由
操作3のろ液には、アンモニアとアンモニウムイオンが共存しており、これは中性~弱塩基性の緩衝液になっています。この条件でH2Sを通じると、酸性条件よりもS2-の濃度がずっと高くなるため、CuSほど溶解度積の小さくないZnSも沈殿できるようになります。
$\ce{Zn^2+ + S^2- -> ZnS v}\text{(白色)}$
「同じH2Sという試薬でも、液性(pH)によって沈殿する金属イオンの種類が変わる」という点が、この単元でもっとも重要な理論的ポイントです。
操作5・6: 炭酸塩の沈殿と炎色反応
残ったCa2+は、炭酸アンモニウムを加えることで白色のCaCO3として沈殿します。
$\ce{Ca^2+ + (NH4)2CO3 -> CaCO3 v + 2NH4+}$
最後まで残ったNa+は、水酸化物・硫化物・炭酸塩のいずれをつくっても水に溶けやすいため、沈殿させることができません。そこで炎色反応を利用し、白金線につけて炎の中に入れたときの色(Na+は黄色)で存在を確認します。
主な炎色反応の色
| イオン | 炎色 |
|---|---|
| $\ce{Li+}$ | 赤色 |
| $\ce{Na+}$ | 黄色 |
| $\ce{K+}$ | 赤紫色 |
| $\ce{Ca^2+}$ | 橙赤色 |
| $\ce{Sr^2+}$ | 紅色(深赤色) |
| $\ce{Ba^2+}$ | 黄緑色 |
| $\ce{Cu^2+}$ | 青緑色 |
例題
例題1(基本)
問題
Ag+、Cu2+、Na+を含む混合水溶液に希塩酸を加えると、どのイオンが沈殿するか。沈殿の化学式と色を答えよ。
解答・解説を見る
塩化物イオンをつくったときに沈殿するのはAg+だけです。
$\ce{Ag+ + Cl- -> AgCl v}$
答え:Ag+が$\ce{AgCl}$(白色)として沈殿する。Cu2+とNa+は塩化物イオンをつくっても水に溶けるため沈殿しない。
例題2(標準)
問題
Cu2+とZn2+を含む酸性の混合水溶液に硫化水素を通じると、Cu2+だけが黒色沈殿として分離できる。この理由を、硫化水素の電離平衡と溶解度積の考え方を用いて説明せよ。
解答・解説を見る
硫化水素は弱酸であり、酸性条件ではその電離平衡($\ce{H2S <=> H+ + HS-}$、$\ce{HS- <=> H+ + S^2-}$)が左に片寄るため、溶液中のS2-濃度は非常に低くなります。CuSは溶解度積が極めて小さい(非常に溶けにくい)ため、このわずかなS2-濃度でも沈殿できますが、ZnSはCuSほど溶解度積が小さくないため、この条件では沈殿できず溶液中に残ります。
答え:酸性条件ではS2-濃度が非常に低いが、CuSは溶解度積が極めて小さいため沈殿できる。ZnSはCuSほど溶けにくくないため、この低いS2-濃度では沈殿できない。
例題3(応用)
問題
Fe3+とAl3+とZn2+を含む水溶液に過剰のアンモニア水を加えたところ、2種類の沈殿(A・B)と、無色のろ液に分かれた。(1) A・Bの化学式と色を答えよ。(2) ろ液中に含まれる錯イオンの化学式と名称を答えよ。
解答・解説を見る
Fe3+とAl3+は過剰のアンモニアでも安定な錯イオンをつくらず、そのまま水酸化物として沈殿します。
$\ce{Fe^3+ + 3NH3 + 3H2O -> Fe(OH)3 v + 3NH4+}\text{(赤褐色)}$
$\ce{Al^3+ + 3NH3 + 3H2O -> Al(OH)3 v + 3NH4+}\text{(白色)}$
一方Zn2+は過剰のアンモニアと安定な錯イオンをつくり、溶液中に残ります。
$\ce{Zn^2+ + 4NH3 -> [Zn(NH3)4]^2+}$
答え:(1) A=Fe(OH)3(赤褐色)、B=Al(OH)3(白色) (2) [Zn(NH3)4]2+、テトラアンミン亜鉛(II)イオン
練習問題
問題
系統分離の操作3(過剰のアンモニア水を加える操作)のろ液に、さらに硫化水素を通じるとZnSの白色沈殿が生じた。操作2(酸性条件での硫化水素)ではZn2+は沈殿しなかったのに、操作4では沈殿する理由を簡潔に答えよ。
答え
操作4はアンモニアとアンモニウムイオンが共存する中性~塩基性の条件になっており、酸性条件よりもS2-の濃度が高くなるため、ZnSが沈殿できるようになるから。