有機化学 / 芳香族化合物

ベンゼンの構造と性質

要点整理

ベンゼンの構造

ベンゼン $\ce{C6H6}$ は、6個の炭素原子が正六角形の頂点に並び、それぞれの炭素原子に1個ずつ水素原子が結合した環状の化合物です。分子式だけを見ると炭素原子の数に対して水素原子の数がかなり少なく、鎖式の飽和炭化水素(アルカン $\ce{C_nH_{2n+2}}$)とはまったく異なる構造をもつことがわかります。

ベンゼンの構造を表すとき、歴史的には炭素原子間の結合を単結合と二重結合が交互に並んだ形(ケクレ構造)で描いてきました。

$\ce{-CH=CH-CH=CH-CH=CH-}\ (環状につながっている)$

しかし、この描き方には問題があります。単結合と二重結合が本当に交互に存在するなら、結合の長さも交互に異なるはずです(一般に炭素間の単結合は約 $0.154\ \mathrm{nm}$、二重結合は約 $0.134\ \mathrm{nm}$)。ところが、実際にベンゼンの構造を調べると、6本のC-C結合の長さはすべて等しく、単結合と二重結合のちょうど中間程度($0.140\ \mathrm{nm}$ 程度)の値になっています。

共鳴と電子の非局在化

この事実を説明するのが共鳴という考え方です。ベンゼン環は、二重結合の位置が異なる2通りのケクレ構造のどちらか一方として存在しているのではなく、実際にはその中間的な、単一の構造として存在しています。これを、2つの構造式を左右非対称の矢印(⇄)で結んで表すことがあります。

$\text{構造式A} \longleftrightarrow \text{構造式B}$

これは「分子が2つの構造の間を行ったり来たりしている」という意味ではなく、「本当の構造は、AでもBでもなく、その中間にある1種類の安定な構造だ」という意味です。具体的には、二重結合をつくる6個の $\pi$ 電子が、特定の2つの炭素原子間に固定されるのではなく、環を構成する6個の炭素原子全体に均等に広がって(非局在化して)います。この均等な電子の広がりのために、すべてのC-C結合が同じ長さ・同じ強さになるのです。

このような非局在化した電子配置は、通常の単結合・二重結合が固定された構造よりもエネルギー的に安定です。この安定化の度合いは、シクロヘキセンの水素付加で放出される熱量から見積もることができます。シクロヘキセン(二重結合1個)に水素を付加すると熱が約 $120\ \mathrm{kJ/mol}$ 放出されるので、もし本当にベンゼンが独立した二重結合を3個もつ構造(ケクレ構造)であれば、水素を3個分付加したときの発熱量は単純計算で約 $360\ \mathrm{kJ/mol}$ になるはずです。ところが、実際にベンゼンを完全に水素化してシクロヘキサンにするときの発熱量は約 $210\ \mathrm{kJ/mol}$ しかありません。この差、約 $150\ \mathrm{kJ/mol}$ が、電子の非局在化によってベンゼン環が余分に得ている安定化エネルギーだと考えられます。

置換反応が起こりやすい理由

ベンゼン環に化学反応を行わせると、アルケンのような「二重結合への付加反応」よりも、「環の水素原子が別の原子団に置き換わる置換反応」のほうがずっと起こりやすいという特徴があります。

この理由は、上で説明した共鳴による安定化と直接結びついています。もしベンゼン環に付加反応が起これば、非局在化していた $\pi$ 電子の一部が特定の2原子間に固定され、環全体に広がっていた安定な電子配置(共鳴による安定化)が壊れてしまいます。安定な状態をわざわざ壊してエネルギーの高い状態に変化するのは起こりにくいため、ベンゼン環は付加反応を避ける傾向があります。

一方、置換反応(環の水素原子1個が別の原子団に置き換わる反応)では、反応が終わった後もベンゼン環の非局在化した電子配置(芳香族性)がそのまま保たれます。安定な環構造を壊さずに済むため、置換反応のほうがエネルギー的に起こりやすいのです。

まとめ:「ベンゼン環は二重結合っぽいから付加反応をしそう」という直感は誤りです。共鳴によって安定化された環構造を壊さずに済む置換反応のほうが、はるかに起こりやすいと覚えておきましょう。

ベンゼンの代表的な置換反応

反応名 反応式 条件
ニトロ化 $\ce{C6H6 + HNO3 -> C6H5-NO2 + H2O}$ 濃硫酸(触媒・脱水剤)、加温
スルホン化 $\ce{C6H6 + H2SO4 -> C6H5-SO3H + H2O}$ 濃硫酸、加熱
ハロゲン化 $\ce{C6H6 + Cl2 -> C6H5Cl + HCl}$ 鉄(触媒)

ニトロ化では、濃硝酸と濃硫酸の混合物(混酸)を用います。濃硫酸は単なる脱水剤・触媒としてはたらき、濃硝酸からニトロニウムイオン($\ce{NO2+}$)を生じさせることでニトロ化を進めやすくします。ハロゲン化では、鉄(または塩化鉄(III))を触媒として使わないと、ベンゼンは塩素とほとんど反応しません。

ベンゼンでも付加反応が起こる条件

「置換反応が起こりやすい」というのは「付加反応がまったく起こらない」という意味ではありません。共鳴による安定化を上回るような、非常に激しい条件を与えれば、ベンゼン環にも付加反応を起こすことができます。

  • 水素の付加:高温・高圧のもとで、ニッケル(Ni)を触媒として水素を作用させると、ベンゼン環に水素が付加してシクロヘキサンになります。

$\ce{C6H6 + 3H2 ->[\text{Ni, 高温高圧}] C6H12}$

  • 塩素の付加:触媒を使わず、紫外線を当てながら塩素を作用させると、ラジカル的な機構で塩素が付加します。

$\ce{C6H6 + 3Cl2 ->[\text{紫外線}] C6H6Cl6}$

どちらも、鉄触媒を使ったときのような穏やかな条件での置換反応とは異なり、高温・高圧や紫外線照射といった、通常より激しい条件が必要になる点に注目しましょう。

例題

例題1(基本)

問題

ベンゼンのC-C結合について、(1)結合の長さがすべて等しいこと、(2)その長さが単結合と二重結合のちょうど中間程度であること、の2つの事実を、共鳴・電子の非局在化という考え方を使って説明せよ。

解答・解説を見る

ベンゼン環を「単結合と二重結合が交互に並んだケクレ構造」として考えると、C-C結合の長さは、単結合部分(約 $0.154\ \mathrm{nm}$)と二重結合部分(約 $0.134\ \mathrm{nm}$)とで交互に異なるはずである。しかし実際には、6本のC-C結合はすべて同じ長さ(約 $0.140\ \mathrm{nm}$)になっている。

これは、ベンゼン環が特定の炭素原子間に二重結合を固定した構造ではなく、二重結合をつくる $\pi$ 電子が6個の炭素原子全体に均等に広がって分布している(非局在化している)ためである。電子が環全体に均等に広がっているので、どのC-C結合も「半分だけ二重結合性をもつ」ような状態になり、結果としてすべての結合の長さが等しく、単結合と二重結合のちょうど中間の長さになる。

答え:ベンゼン環の $\pi$ 電子は特定の2原子間に固定されず、環全体に均等に非局在化しているため、すべてのC-C結合が同じ強さ・同じ長さ(単結合と二重結合の中間)になる。

例題2(標準)

問題

ベンゼンに次の2つの反応を行った場合の、生成物の名称と反応式をそれぞれ答えよ。

(1) 濃硝酸と濃硫酸の混合物(混酸)を加えて反応させる。 (2) 鉄を触媒として塩素を作用させる。

解答・解説を見る

(1) 混酸によるニトロ化

濃硫酸を触媒として、ベンゼン環の水素原子1個がニトロ基($\ce{-NO2}$)に置き換わる置換反応(ニトロ化)が起こり、ニトロベンゼンが生成する。

$\ce{C6H6 + HNO3 ->[\text{濃硫酸}] C6H5-NO2 + H2O}$

(2) 鉄触媒による塩素化

鉄(または塩化鉄(III))を触媒として、ベンゼン環の水素原子1個が塩素原子に置き換わる置換反応が起こり、クロロベンゼンが生成する。

$\ce{C6H6 + Cl2 ->[\text{Fe}] C6H5Cl + HCl}$

どちらも、ベンゼン環の芳香族性(共鳴による安定化)を保ったまま水素原子だけが置き換わる置換反応である点が共通している。

答え:(1) ニトロベンゼン、$\ce{C6H6 + HNO3 -> C6H5NO2 + H2O}$(濃硫酸触媒) (2) クロロベンゼン、$\ce{C6H6 + Cl2 -> C6H5Cl + HCl}$(鉄触媒)

例題3(応用)

問題

ベンゼンと1-ヘキセン($\ce{CH2=CH-CH2-CH2-CH2-CH3}$)はどちらも分子内に炭素間の多重結合的な性質をもつが、臭素水を加えたときの反応性は大きく異なる。この違いを、共鳴による安定化という観点から説明せよ。

解答・解説を見る

1-ヘキセンのようなアルケンは、炭素間に明確な二重結合を1本もっており、これに臭素が速やかに付加して脱色が起こる(付加反応)。

$\ce{CH2=CH-CH2CH2CH2CH3 + Br2 -> CH2Br-CHBr-CH2CH2CH2CH3}$

一方、ベンゼンは見かけ上二重結合をもつように描けるが、実際には $\pi$ 電子が環全体に非局在化しており、共鳴によって大きく安定化された状態にある。ここへ臭素が付加すると、非局在化していた電子の一部が特定の2つの炭素間に固定されてしまい、共鳴による安定化(芳香族性)が失われる。この安定化の消失によるエネルギーの損失が大きいため、ベンゼンは通常の条件では臭素水とほとんど反応せず、脱色しない。

このように、「臭素水を加えて脱色するかどうか」は、アルケン(鎖式の二重結合)と芳香族化合物(ベンゼン環)を見分ける実験的な手がかりの一つになる。

答え:アルケンの二重結合は臭素と付加反応を起こしやすいが、ベンゼン環は共鳴による安定化(芳香族性)を失うことになるため、通常の条件では臭素水とほとんど反応せず脱色しない。

練習問題

問題

次の文の空欄に適語を入れよ。「ベンゼン環のC-C結合の長さがすべて等しいのは、二重結合をつくる $\pi$ 電子が特定の2原子間に固定されず、環全体に均等に( )しているためである。この安定化のために、ベンゼン環は付加反応よりも( )反応を起こしやすい。」

答え

非局在化 / 置換